本当ならば、もっと華々しい舞台でたくさんの人に愛され、語り継がれるはずだったのかもしれない1台、3代目のいすゞ ジェミニ。
それは、特にイルムシャーRを見ていると常々思う事です。
伝え聞くいすゞワークス全日本ラリー最後の日々の何もかも過ぎ去った日の思い出と忘れかけていた頃、突如全日本ダートラに現れたトンボハウス・ジェミニ最後の戦い。
そんな数々の雄姿を語るには、3代目ジェミニはあまりにも短命すぎました。
華々しさの陰で、着々と進んだ終末の日々
1970年代から米GM(ゼネラルモーターズ)傘下となっていたいすゞにとって、乗用車とはGMの許可を得て、あるいはGMに必要とされて作るに等しいものでした。
また、販売網が弱い割に北米など海外への依存度が高いいすゞにとって、GMグループの販売力に頼らない乗用車開発など、思いもよらなかったのです。
だからこそアスカは初代のみで後継車の独自開発は断念せざるをえませんでしたし、ジェミニは、たまたまオーストラリアのホールデンなどのほか、2代目はGMのシボレーブランドなどでも売れたので、3代目も開発することができました。
そして1990年3月に発売されたジェミニは、2代目に引き続きヨーロピアンスタイルのスタイリッシュな4ドアセダンに、1年後にはユニークとも言えるフロントマスクを持つ3ドアハッチバック / クーペをラインナップ。
GMの新しい小型車ブランド『ジオ』で販売されたジオ・ストームは期待通り米国でヒット作となり、日本でも発売直後からバックオーダーを抱えるなど好調な滑り出しを見せます。
しかし、全てはそこまででした。
バブル崩壊の直撃を受けて万策尽きたいすゞは、販売不振に陥ったジェミニの次期型開発どころか生産継続さえもおぼつかず、1992年12月には生産の打ち切りを決定。
1993年7月には、発売からたった3年4か月で生産を終了してしまったのです。
ちなみに、その後継となる3代目ジェミニは、ホンダ・ドマーニのOEMでした。
当時最強のテンロクエンジン搭載、ニシボリック・サスを手なずけられるかがカギ
3代目ジェミニは基本的なパワーユニットが1.5リッターSOHCガソリンで、加えて1.6リッターDOHCガソリンおよび同ターボ、1.7リッターディーゼルターボをラインナップ。
先代に引き続きラグジュアリー志向の『ZZハンドリング by ロータス』とスポーツ志向の『イルムシャー』を設定し、駆動方式は基本的にFF(前輪駆動)ですが、全ボディタイプに設定されたイルムシャーRとセダンのディーゼル車のみフルタイム4WDでした。
中でも最強モデルは最高出力180馬力、1.6リッターDOHCターボのイルムシャーR(JT191S)で、ホンダEK9初代シビックタイプRが185馬力のB16Bを搭載してくるまではテンロク最強エンジンで、イルムシャーや限定車のイルムシャーRS、ZZハンドリング by ロータスは1.6リッターDOHC自然吸気エンジンのFF車(JT191F)だったので、戦闘力の違いは明らかでした。
さらに3代目ジェミニが短命に終わってしまったため、結果的に最大の特徴、あるいは悪癖のように現在まで語り継がれている特異な機構に、パッシブ4WS機構の『ニシボリック・サスペンション』(以下ニシボリ・サス)があります。
簡単に言えば、『リヤタイヤの位置や角度を決める部品。その接合部分のブッシュ(大抵はゴム製)に工夫して、コーナリング中にリヤタイヤがわずかながら角度を変える仕組み』で、コーナリング中に車体にかかる力だけで作動する4WS(4輪操舵)です。
しかし4WS自体、よほどうまくコンピューター制御しないとドライバーの違和感が拭えない上に、そのような制御の無いニシボリ・サスのようなパッシブ4WSでは一般のドライバーが突然の挙動に驚かないよう、開発時点で入念なセッティングが欠かせません。
そのため3代目ジェミニでは、初めてその車のステアリングを握り様々な走行を試す評論家や買ったばかりのユーザーという『慣れないドライバーからの違和感』がモロに出たようで、後世まで酷評ばかり目立つ結果となりました。
ただし、元より操縦安定性とは真逆の方向性、つまり旋回性能を重視するラリードライバーなどは乗り方とセッティングのいずれか、あるいはどちらも合わせて解決してしまうのか、むしろFR的で動かしやすいという声もあって評価は一定ではありません。
最大の問題は、評価が安定するまでいすゞ自体が持ちこたえられずに生産を終了したことで、3代目ジェミニは名誉挽回の機会、つまり多くの人が実際にハンドルを握って評価する機会を失ったまま『去るべき車が去った』という扱いで、終わってしまったのが残念です。
レースやラリーなどに燃えた短く暑い3年と、トンボハウスによるダートラでの復活
1990年、まだバブル時代真っ只中で景気が良く、翌年春には販売や経営の不安が伝えられていたとはいえ、まだまだいすゞワークスやプライベーターによるモータースポーツは盛んな時期に、3代目ジェミニも早速モータースポーツに参戦していきました。
中でも気張っていたのはFFテンロクNAセダンのJT191FでBクラス(1,301~1,600cc)に参戦していた全日本ラリーで、1991~1992年シーズンは2連続でクラス優勝!
しかし、1992年12月にSUV以外の乗用車独自生産撤退を表明していたので、いすゞワークスのフル参戦はこの年限りで終わってしまったようですが、筆者は以前、あるワークスチームの関係者として各地を飛び回っていた人から、いすゞワークス最後の様子を聞いたことがありました。
「あの時のいすゞはすごかった。ナイトステージなんかルーフにでっかく『ISUZU』って電飾してピカピカしてて…」
という話で、残念ながらどのイベントかまでは失念したものの、かなり振り切れていたようです。
また、現在のスーパー耐久の前々身、『N1耐久シリーズ』にもジェミニ・イルムシャーR(セダン)がクラス2に参戦していたエピソードもありました。
そして1991年シーズンにはクラス1のスカイラインGT-Rに比べれば地味なものの、ミラージュを相手に終盤までトップ争いを展開し、最終戦SUGOで逆転優勝のチャンスが!
そんなわけで迎えた同年11月23日の最終戦、小山ガレージの『コヤマジェミニ』(細野 智行 / 野上 敏彦)はライバルのRSオガワミラージュにしっかり勝って、この年のクラス2優勝を決めたのでした。
これは、同時代でもグループAではなかなか起こらない争いだったかもしれませんが、エントラントも車種も多用で『偉大なる草レース』時代のN1耐久ならではの話かもしれません。
最後に全日本ダートトライアルでは、3代目ジェミニ現役時代にはさほど活躍していませんが、1999年シーズンのA3クラスに、突如一陣の風が吹いたのです。
C73Aランサー / C83Aミラージュといずれも三菱テンロク4WDターボ勢による戦いになっていたこのクラスに、「おっと、テンロクターボ4WDとくればコイツを忘れちゃ困る!」とばかりに、前年までミラージュで戦っていた小池 正巳選手がジェミニ・イルムシャーRで参戦!
1999年第9戦(新日鉄堺)、2000年第8戦(タカタ)でクラス優勝するなど2001年第2戦までジェミニで活躍し、2000年から加わった僚車、湯本 敬のジェミニは2003年第2戦まで活動して2001年に第1戦(三井三池)でクラス優勝と、この2人で4年間に3勝を挙げています。
ちなみに、チューニングはいすゞ車のラリーチューンなどで当時お馴染みの存在だったトンボハウスでしたが、ジェミニの全日本ダートラ参戦が終わった頃、既に店は埼玉の岩槻からタイに移転していたようで、現状は定かではありません。
主なスペックと中古車相場
いすゞ JT191S ジェミニ イルムシャーR 1992年式
全長×全幅×全高(mm):4,195×1,680×1,390
ホイールベース(mm):2,450
車両重量(kg):1,190
エンジン仕様・型式:4XE1 水冷直列4気筒DOHC16バルブ ICターボ
総排気量(cc):1,588
最高出力:132kw(180ps)/6,600rpm
最大トルク:208N・m(21.2kgm)/4,800rpm
トランスミッション:5MT
駆動方式:4WD
中古車相場:29万~132万円(各型含む)
まとめ
最近では三菱自動車のファンが、そして数年前にはスバル軽自動車のファンも同じ気持ちだったのかもしれませんが、バブル崩壊の真っ只中で真っ先に『ついに来たその日』を迎えたいすゞファンの方たちは、どのような気持ちだったのかを思うと、辛いところです。
ご近所に今でも乗っている人がいない限り、もう滅多な事では見かけない車になってしまいましたが、3代目ジェミニはセダンもクーペもハッチバックも、現役当時から見かけると思わず振り返るほどカッコイイ車で、今でもきっと古さを感じさせないのでは、と思います。
もっとも、筆者のようにマニアックな人間にそれほど好かれるというのも、それはそれで短命に終わった原因かもしれないと思うと、これもまた辛いところかもしれません。