三菱自動車が初代ディグニティともども、最後に独自生産した高級サルーン、初代プラウディアは、わずか1年少々の販売期間で終わった不運な車です。
そして当時のトヨタ セルシオに相当する広大な車内スペースや新型V8エンジンを誇りながら、『FF大型セダンはほとんど大成しない』という日本市場でのジンクス通りの結果に終わった、悲劇的な高級車でもありました。
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デボネアからの終着駅、初代プラウディア
販売期間が当時としてはかなり長く、『走るシーラカンス』と呼ばれた初代デボネアは、韓国のヒュンダイ版であるグレンジャーこそ大成功をおさめたものの、本家は販売不振に終わった2代目・3代目デボネア後継のとなる三菱製高級サルーンが、2000年2月に発売されました。
心機一転を図る意味もあってかデボネアの名は受け継がれず、新たなクルマの名は『プラウディア』。
『堂々とした、誇り高い』(PROUD)と『ダイヤモンド(三菱)』(DIAMOND)をかけあわせた造語で、そのまま受け取れば『三菱の誇り』となります。
そしてその名の通り、三菱が細々ながらも作り続けてきた高級サルーンの集大成らしく、同社の乗用車史上最大サイズ・最高級・最大排気量の高級車であり、デボネア時代に存在したストレッチリムジン版に相当する派生車ディグニティも同時に発売されました。
しかし、悲しいかな日本市場とは高級サルーンとスポーツカーがFF車である事を許さない場所であるにも関わらず、プラウディアはFF車だったのです。
当時の他社高級サルーンと比較すれば、例えばトヨタ車なら室内長がほんの10mm短い以外はセルシオ(3代目)より広く、全幅を除けばセンチュリーにすら負けていません。
しかし、そのトヨタですら北米産大型FFセダンであるアバロンやプロナードを日本では売りさばけず、まして三菱も2代目、3代目デボネアが立て続けに販売不振で終わった事を考えれば、プラウディアは最初から厳しい勝負だったと言えます。
とはいえ、例によって韓国のヒュンダイ版エクウスは成功。
2009年まで販売されるロングセラーとなりましたが、初代プラウディアは2001年3月までと、わずか1年少々の販売期間のみで廃止され、ここに三菱自動車独自生産の高級車史は幕を閉じました。
三菱自動車史上、最大最強を誇ったV8エンジンを最上級グレードに据えたFFセダン
初代プラウディアは3代目デボネアの通常ボディ仕様から全長75mm、全幅55mm、全高35mm拡大しており、同時発売したロングボディ版ディグニティが法人向けリムジンな事を考えれば、オーナードライバー向けとしては三菱自動車史上最大の高級サルーンでした。
ホイールベースも85mm拡大したことで、室内長は120mmも広がり、FF大型セダンらしく前後席ともかなりゆったりしていることが容易に想像できます。
それでいて最小回転半径は5.6mと、セルシオのようなFR車(5.2m)に比べれば取り回しが良かったとは言えなかったものの、3代目デボネア同等に抑えていたのもポイントでした。
デザインは前後とも垂直に近く立てたような堂々たる風格で威厳を放ち、大型フロントグリルも相まって高級車らしい重厚感を目指したのがわかります。
そして何より圧巻はエンジンで、『A仕様』や『B仕様』の3.5リッターV6の6G74型エンジンは基本的に3代目デボネア用と同じなもののGDI(直噴)化され、さらに『C仕様』の4.5リッターV8DOHCの8A80型エンジンは三菱自動車の乗用車史上最大排気量となっています。
V8エンジンというだけで国産車では他にトヨタと日産しか作っていない豪華なエンジンですが、それを横置きしたFF車となると、少なくとも日本国内で販売していた国産乗用車では他に例が無く、内燃機関のダウンサイジングが進む中ではおそらく唯一の存在でしょう。
もちろん、最高級サルーンらしく安全装備も充実しており、運転席&助手席はもとより前後席サイドまで採用したエアバッグ、車線逸脱警報や後側方モニターなどを備えた『ドライバーサポートシステム』などが設定されており、当時の三菱の技術を結集したと言っても過言ではないほど。
日本市場ではどうしても評価が厳しくなるFF車だったという事以外は、当時の国産高級サルーンとして最高水準にあった1台と言えました。
主なスペック
三菱 S33A プラウディア C仕様 2000年式
全長×全幅×全高(mm):5,050×1,870×1,475
ホイールベース(mm):2,830
車両重量(kg):1,990
エンジン仕様・型式:8A80 水冷V型8気筒DOHC32バルブ
総排気量(cc):4,498
最高出力:206kw(280ps)/5,000rpm
最大トルク:412N・m(42.0gm)/4,000rpm
トランスミッション:5AT
駆動方式:FF
まとめ
内容としては非常に充実していた初代プラウディアですが、生産期間の絶対的な短さや販売力の弱さ以外で、せっかく成功していた三菱のFF大型サルーン『ディアマンテ』のイメージを活かせなかった事は少々惜しいところでした。
しかし、ディアマンテや日産 セフィーロ(2代目)のように、日本でもFF大型セダンの成功例は存在しており、闇雲に超高級サルーンを狙うよりコストパフォーマンスをアピールするか、あるいはディアマンテの大型高性能版スポーツサルーン路線を狙う手もありました。
いわば和製BMW5シリーズや7シリーズのような路線であれば、ディアマンテユーザーの上級移行も狙えたかもしれませんが、高級ラグジュアリーサルーン路線となったのはやはり三菱グループ社用車、あるいはヒュンダイ最高級サルーンという役割もあったゆえでしょうか。
いずれにせよ、2000年に852台(※3代目デボネアの在庫を含む可能性あり)を販売したプラウディアより販売台数の少ない車(アスパイアなど)を抱えていた当時の三菱自動車にとって、初代プラウディアは少々過ぎた車だったのかもしれません。