1980年代中頃から1990年代初頭にかけ、バブル景気に浮かれていた日本では「デートカー」や「ハイソカー」なる車が持てはやされていました。
しかしデートカーやハイソカーといっても、今の世代には何がなんだかわかりません。
今回は今は懐かしのハイソカーを5台紹介します。
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デートカー・ハイソカーとは何ぞや?
「デートカー」に「ハイソカー」、ともに2020年の現在では聞かなくなった言葉ですが、これらの言葉が思い出深いという人も多いのではないでしょうか。
デートカーとは文字通り“デートに最適な車”で、見た目はスポーティーでカッコいいけど、ごく普通のエンジンが積んである車でした。
デートカーの代表的な車種は、S13シルビア、初代ソアラ、2代目プレリュードなどです。
また、ハイソカーは、“上流階級”を意味する“ハイソサエティ”的な意味が込められたクルマで、今で言うところの“セレブカー”でした。
ただし上流階級が乗っていた高級車のことではなく、ベースはあくまで国産車。“高級車風”の車です。
代表的なハイソカーは、2代目ソアラやマークⅡ、ローレルなど。
どちらのブームも、車を持った男子大学生が大学の校門前にやってきて、ハイソカーやデートカーを見せつけながら女子大生を迎えに来るという光景を生み、バブル期を象徴していました。
なぜデートカー・ハイソカーブームが起こったのか?
なぜバブル期にデートカーやハイソカーブームが起こったのかというと、それはバブル期が、戦後以来続いた経済成長の到達点だったからです。
経済成長が続くと個人所得が増えるので、“豊かさの象徴を求める競争”が起こりやすく、そのひとつである車、特に見た目がカッコよく速いスポーツカーがその対象になりました。
スポーツカーは値段が高いため手が出しにくく、まさに“豊かさを象徴するもの”としてはうってつけだったのでしょう。
スピードが出る車は1980年代中期~90年代初期にかけ、まさに特別な者しか手にできない、“聖剣”のようなものだったのかもしれません。
しかし本当に“速い車”となると輸入車が選択肢として浮かびますが、とにかく値段が高すぎました。
そのため、雲の上の輸入車を手に入れるよりも、とにかく“見た目がカッコよく、スピードもそこそこ出る車”として、多くの若者が国産スポーツカーを選んだのです。
ただ、そこに“車への本物の情熱”を持った人がどれだけいたかは、わかりません。
あくまで“かわいい女の子を乗せてカッコをつけるための車”が手に入れば、それでよかったという人も多かったのではないでしょうか。
ハイソカー5車種を紹介
2代目ソアラ Z30型
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Toyota_Soarer_20_001.JPG1986年1月に発売され、発売から5年間で30万台を売り上げたハイソカーの代表的存在です。
4輪ダブルウィッシュボーンサスペンションを採用し、電子制御式エアサスペンションをオプションで設定。
エンジンは排気量ごとに選べるようになっており、3000ccクラスには2代目ソアラのために開発された、7M-GTEUを搭載。
この7M-GTEUは1気筒4バルブのDOHCヘッドが採用され、空冷インタークーラーとターボーチャージャーが装備されていました。
その7M-GTEUの出力は最大で230ps/33.0kg・mに達し、当時の日本国内においての最高値を実現。
この2代目ソアラの特徴は、「エレクトロマルチビジョン」と呼ばれる、今で言う「カーナビ」の子供のようなものが搭載されていたことです。
エレクトロマルチビジョンは付属カセットテープを読み込むことで、高速道路地図や車両取扱説明などを表示できるものでしたが、今のカーナビほどの機能はありません。
しかしこの装備は当時としては最新のものであり、先述のサスペンションとあわせて、“最新鋭の装備搭載”という、若者が求めるハイソカーの条件を見事に満たしていました。
5代目マークⅡ X70型
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:MARK2_GX71_GRANDE.jpg1984年から1997年まで販売された5代目マークⅡは、「美しき正統」をキャッチコピーに、先代とは違い「コロナ」のブランドから独立したモデルとなりました。
当初、このマークⅡに搭載されたエンジンは2リッターのレーザー1G-IIのみでしたが、発売翌年に兄弟モデルのチェイサーやクレスタとともに、1G-GTEU型を搭載した「GT TWIN turbo」が登場。
この1G-GTEU型は日本初のツインカム・ツインターボエンジンであり、マイナーチェンジ後は改良が行われています。
また、X70型マークⅡは兄弟車種のチェイサーやクレスタと同様、外装やインテリア周りのデザインがラグジュアリーさにあふれており、応接セットのようなふかふかのルーズクッションシートが高級車感を演出していました。
2代目シーマ FY32型
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Nissan_Cima_1991.JPG1991年から1996年にかけて販売されたのが、2代目シーマです。
後部座席の居住性やボディ剛性に優れたセダンスタイルの内装は、本木目の模様が施され、本革シートやイタリア製高級車のようなアナログ時計などの絢爛豪華仕様。
V型8気筒のVH41DEエンジンを搭載し、ターボの強烈な加速を自然吸気で味わえることも魅力でした。
さらに、油圧式のアクティブサスペンションが採用され、排気量は4,100ccと、インフィニティQ45とほぼ同様の仕様です。
1992年にはアテーサE-TS搭載の4WDモデル、「S-four」も登場し、1993年には「タイプ・ツーリング」が追加されるなど、文字通りバブル期の狂騒の中を駆け抜けました。
6代目ローレル C33系
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%94%A3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%AB#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:NISSAN_Laurel.jpg1989年から1993年のバブル期真っ只中に販売されたのが、この C33系ローレルです。
「時代のまんなかにいます。」という印象的なキャッチコピーで登場したこのローレルには、RB20型エンジンが搭載されたモデルがあり、リアマルチリンクサスペンションが採用されていました。
ただしそのぶん車高が低いため、居住性はあまり高くなく、室内空間は大人4人が長時間の乗車に耐えられる最低限の大きさです。
おもなラインナップは、1990年に登場した「RB20E メダリストS」、9月に追加された「RB20Eメダリスト リミテッド」、「RD28メダリスト リミテッド・S」、翌年8月に追加された「グランド・リミテッド」などでした。
2代目レパード F31型
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%94%A3%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%89#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Nissan_LEOPARD_Ultima_MY1987_ver.Saraba_Abunai_Deka_(1).JPG1986年から1992年まで販売されていたのが、F31型レパードです。
前期型のキャッチコピーは「私は今、限りなく自由だ、限りなく豊かだ」であり、後期型は「若いと言うだけでは、手に負えない、クルマがある」でした。
この2代目レパードは競合車種の2代目ソアラを強く意識して開発され、その開発主管はスカイラインR31、32型の開発主管でもある伊藤修令氏でしたが、発表前に山羽和夫氏に交代。
フロントにストラットサス、リアにセミトレーリングアームサスを採用し、エンジンはVG30DEを頂点としてV6エンジンを採用。
前期型の最大出力は185ps、マイナーチェンジ後の後期型では200psにまでアップしました。
この後期型に搭載されたVG30DETは、もともと2代目ソアラに対抗するために開発されたエンジンで、最初からこのレパードに搭載される予定でした。
しかしFPY31型シーマもレパード同様、競合車種をソアラと想定したために、話は変わります。
既に開発終盤だったこともあってシーマ用エンジンの新規開発が困難だと判断されたことにより、急遽、レパード用につくられていたVG30DETがシーマに搭載されたのです。
その後、後期モデルにマイナーチェンジされたことで、改めてレパードにVG30DETが搭載されたというわけです。
外装は初代ソアラをイメージしたクラシカルなデザインが取り入れられ、知的な印象を持つバランスの取れたデザインを実現。
一方の内装には高級車としての風格を重視しながらも、航空機のコックピットを意識し、エレクトロニクスメーターやオーディオなどが採用されてグローブボックスも充実。
ハイパワーFRで、日本テレビ系で放送された刑事ドラマ、『あぶない刑事』シリーズに登場したことから絶大な人気を誇り、今も中古車市場で高く取り引きされています。
まとめ
しかしそのハイソカーブームもバブルとともに終わりを迎え、当時の“かわいい女の子を乗せてカッコをつける車が手に入ればよい”という風潮は、“豊かさの象徴”から“愚かさの象徴”へと変わっていきます。
バブル経済という熱にうかれ、豊かさを競い合っていたことが、冷めてみたら非常にバカバカしく思えてしまい、車を手放してしまった人も多いかもしれません。
しかしバブルという熱にうかれることなく、“車への本物のこだわり”を持ち、今も愛車としてこれらの車に乗っている方もいることでしょう。
ブームというものは過ぎてしまった後に、話題の渦中にあったものへの本当のこだわりが、試されるのかもしれません。