街中でもよく見かけた「ホンダGA2シティ」。
ジムカーナのステージに持ち込めば、完全無敵のスーパーマシンに早変わりしたのです。
決してハイスペックとは言えないマシンながら、コース設定によってはどんな車よりも速く「無敵の小さな帝王」や「速すぎて事実上追放されたマシン」とも言われた1台でした。
“元祖トールボーイ”のイメージを一新
ホンダ シティとはどんな車なのか?と聞かれて、ちょっとした車好きなら丸目で車高の高い、可愛いいコンパクトハッチバックを思い浮かべると思います。
当時画期的だった背の高いボディに同時開発された折りたたみ式車載原付「モトコンポ」を搭載出来る事や、パステルカラーに彩られたコンバーチブル、そして快速を誇るターボモデルと、それをよりパワーアップした、ブリスターフェンダーで武装したモデル、通称「ブルドック」。
初代シティはそんなインパクト尽くしの車でしたが、1986年にモデルチェンジし、さらに世間を驚かせるのです。
思い切りよく低く下げられたルーフと、エンジンをコンパクトに押し込んでペタンコにしたボンネット、そしてボディの四隅に配置したタイヤでグッと踏ん張ったようなクラウチング・スタイル。
なんと、2代目シティは、ホンダによる「初代シティの全否定」とも言えるモデルだったのです。
前後してデビューした初代トゥデイ(1985年)やEF型シビック(1987年)が似たようなスタイルであった事から、一見「大きさが違うだけで似たような車」が立て続けにデビューした形となり、初代シティが持っていた個性は弾け飛んでしまいました。
なぜホンダはシティの個性を消してしまったのでしょうか?
明らかになる、高すぎる潜在性能
個性が消えたかに見えた2代目シティは、実は全く平凡な車ではありませんでした。
初期のGA1が搭載していたD12A型は1.2リッターSOHC4バルブ・シングルキャブレター式で76馬力という一般の実用エンジンでした。
それなのにも関わらず、1.3Lまでのマシンで戦われていたジムカーナA1クラスに出場すると、1987年の全日本ジムカーナで、見事3位表彰台を獲得したのです。
当時の主力マシンは、スズキAA33SカルタスGT-iで、1.3リッターDOHC16バルブで97馬力を誇るG13Bエンジンを搭載し、前年まで活躍していたトヨタEP71スターレットやダイハツG26シャレード926ターボを打倒したばかりでした。
豪快なパワーを誇るカルタスGTiに対し、GA1型シティはエンジンこそ非力だったものの、強烈な旋回性能でほぼ互角に渡り合ったのです。
デビュー早々のジムカーナでいきなり優勝!あっという間に主力車種に
1988年10月のマイナーチェンジで、1.3リッターエンジン「D13C」を搭載するGA2型シティが登場します。
単に排気量を上げただけではなく、高級グレード「CZ-i」とスポーツベースグレード「CR-i」が搭載するD13CはPGM-Fi(電子制御インジェクション)仕様だったのです。
これでSOHC16バルブながら100馬力を発生し、3割以上のパワーアップを果たしました。
発売直後の11月に開催された全日本ジムカーナには、早くも2台のGA2が登場し、そのうちの1台が2位にコンマ8秒以上の差をつけるブッチギリのタイムで優勝!
翌1989年にはカルタスもモデルチェンジし、戦闘力を増したにも関わらずGA2に乗り換えるドライバーが続出したのです。
1990年になる頃にはほとんどの参戦マシンがGA2となりました。そして以降のジムカーナA1クラスは規則改正でジムカーナA車両が消滅する2002年まで、GA2以外の勝利は、ほとんど見る事ができなくなりました。
上級クラスも恐れたGA2の戦闘力
GA2の戦闘力の高さは、「軽快」というより「猛烈」。地を這うつむじ風のようにクルクル回る、異様なまでに回転半径の小さいコーナリングと、低回転から粘り強く、上まで良く伸びるPGM-Fi仕様D13Cエンジンが生み出していました。
わずか760kgの軽量ボディで軽快にスタートすると、グングン伸びたスピードを瞬時に殺し、軽くテールをスライドさせながらのコーナリング。
そこがサイドターン(パーキングブレーキを使ったスピンターン)セクションであれば、瞬時に回転し、勢いのまま立ち上がりのダッシュを決めるのです。
もちろん、必要とあらばインベタラインも楽々!
GA2はまさにジムカーナのために生まれたと言っても過言ではない性能を秘めたマシンだったのです。
そうは言うものの1.3リッタークラスのコンパクトカーなので、エンジンパワーが生かされるようなストレートが多いコースでは、「あくまでA1クラスで1番速いクルマ」という位置づけです。
しかし、ひたすらタイトコーナーとターンを繰り返すようなコースでは、上級のA2~A4クラスマシンですら脅威を感じるほどの鋭さを持っていたのです。
強すぎてジムカーナから引退状態に
「GA2で出場しないことには、A1クラスは勝つことができない」という状況が、第一線マシンとしての寿命を縮めました。
2003年にJAF公認競技の規則改正でクラス分けや車両規則が大幅に変更されたのです。
それまで活躍していたジムカーナA車両が消滅し、GA2は新たに設定されたSA / SC車両(改造車)で1,600ccクラスや4WDハイパワーターボと戦うか、N車両(A車両よりノーマルに近い仕様)でDC2型インテグラタイプRと戦うかの道しか無くなってしまうのです。
結果、ほとんどのドライバーが安定して成績を残せるマシンに乗り換え、GA2はジムカーナから急速に姿を消していきました。
しかし一部のドライバーは排気量の大きいVTECエンジンに載せ替えたナンバー無し改造車(SC車両)で、GA2と共に歩む道を選び、現在でも旋回性能を武器にランエボなど4WDターボマシンを相手に戦いを続けています。
さらに、わずかに残ったGA2の旧ジムカーナA車両は、地方の競技会に参戦したり、学生の自動車部用練習車として今でも活躍する姿がみられます。
ラリーカーなどに転身したGA2
ジムカーナから実質引退状態のGA2ですが、その後も走行会や草レース、そして全日本ラリーでも活躍を見せました。
狭くてツイスティな道を高速で駆け抜けるラリーは、GA2にとってジムカーナに次いでうってつけのステージだったのです。
そして、ライトポッドなどを装着したラリー仕様GA2は2009年頃まで活躍し、それが全日本選手権レベルで活躍するナンバー付きGA2の、最後の姿になりました。
まとめ
ホンダGA2シティの全盛期は、2002年のJAF公認競技の規則改正により、突如終わりを見せましたが、それによって育ったドライバーは、今でも日本各地のモータースポーツで活躍を続けています。
今でも「スポーツカー並みの速さを持つホットハッチ」を求める声は根強くありますが、GA2のような潜在能力を持った車は、もう二度と出ないのではないでしょうか。
もしGA2に乗る貴重な機会が得られたら、是非一度ミニサーキットやジムカーナ上で全開のコーナリングをしてみてください。
一生に残る思い出になると思います。